
皆さんこんにちは!
T.A.Garage、更新担当の富山です。
目次
今回のテーマは「自動車整備の歴史」。
普段何気なく乗っている車、その裏側には130年以上にも及ぶ技術の積み重ねと、整備士たちの不断の努力があります。今回は、そんな“縁の下の力持ち”である整備の世界の、過去から現代までをじっくりと振り返ってみましょう。
整備とは、「本来あるべき性能を維持すること」。
つまり、壊れたから直すだけでなく、壊れないように予防するのも整備の本質です。これは実は、今も昔も変わらない大原則。時代とともにその方法やツールは変わりましたが、“安全・快適な走行を支える”という使命は不変です。
自動車の整備は、自動車そのものの誕生と共に始まりました。
1886年、ドイツのカール・ベンツが発明したガソリン自動車。この頃の車は、現代のような大量生産品ではなく、職人による一点モノ。整備も製作も一体化していました。
当時の“整備士”は、まさに機械技術者であり発明家。試行錯誤の連続であり、油まみれになりながら機構の調整を重ねていた時代です。
1908年、アメリカのフォード社が「T型フォード」の量産を開始。
ベルトコンベア方式の導入で、車は一気に庶民の乗り物となりました。すると、車が壊れたときに対応する「整備専門職」が必要とされ始めます。
この頃から、「整備士」は製造とは別の職種として成立していきます。欧米では職業訓練校が整備士養成を始め、日本でも軍用トラックやバスの普及とともに整備技術が高まっていきました。
第二次世界大戦後の日本では、交通インフラの復旧とともに自動車の需要が急増。トヨタ、日産、三菱などが次々と乗用車を市場投入し、モータリゼーションが進みました。
1950年代には整備工場が各地に設立され、「民間車検工場制度」も誕生。さらに1960年、国家資格「自動車整備士」が法制化され、整備は“専門職”として社会的信用を得るようになります。
オイルショックや排気ガス問題により、整備にも新たな技術対応が求められるようになりました。特にキャブレター調整や排ガス浄化装置の整備は、国家整備士試験でも重点項目となりました。
この時期は「メカチューン」「レース整備士」「街のクルマ屋さん」が花形だった時代。
エンジンの音、振動、においで異常を察知する熟練職人が各地にいました。
バブル期を超えると、車の制御は完全に電子化の方向へ。ECU(電子制御ユニット)による燃料噴射制御、AT制御、ABS、さらにはエアバッグなど、安全・快適機能が次々と車に組み込まれていきます。
整備士は「工具を持つ人」から、「データを読む人」へ。スキャンツール、診断ソフト、パソコン操作など、新たなスキルが必須となりました。
現在では、EV(電気自動車)やFCV(水素自動車)、自動運転技術といった革新技術が次々に登場。
整備士には高電圧作業の知識やソフトウェアアップデートの技術、さらには車両データのクラウド管理といった“IT整備士”としての資質が求められます。
整備の進化は、そのまま車社会の進化です。道具やシステムは変わっても、「人の命を預かる」という責任は変わりません。
次回は、そんな整備士が守るべき“現代の鉄則”について、より実践的に深掘りしていきましょう。
次回もお楽しみに!